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明鏡止水の境地はあるのか

2009/08/01 Sat

「トレードとはそもそも不確定なもの。」


しかしながら、人は、それをどうしても確定的に判断したい、絶対を求めたい、となる。

しかし、所詮は相場などそうはならない。

これに同意してもらえるかどうか。一見すると当たり前のこと、しかし、これを受け入れている人は意外と少ない。

だから、人は迷う。考える。次はどうなんだろう、と。次こそ当たりだろうか、それとも外れだろうか。

絶対を求める人の本能としての心と、不確定な相場とのギャップを何らかの考え方をもって埋めなくては、常に実践に当たっては迷いが生じる。

すなわち、恐れ、躊躇、疑念・・・その結果待っているのは、判断が鈍り、一歩出遅れてしまう、エントリーできない、ということ。

それは、すなわちチャンスを逃すこととなる。

損切りに当たっては、もしかして、と考えて切れなくなる。結果、泥沼へ一直線となる。

考えれば考えるほど、悪手を打つようになる。



これは、ある程度相場の恐ろしさを知った人たちが陥る罠。

最初のころは、まだ取れたのに、どうしてやることとなすこと失敗ばかりが続くのか。

勉強しているので、相場の知識はどんどん増えているはず。普通なら、増えた知識によって、利益が出る、となるはずなのだ。

しかし、そうはならない。

初心者が無邪気に売買するほうが、よほどましな結果となる。

何故だろう。

悩み苦しむ時期は、初心者を卒業し、次に一連の勉強を積んだ人たちが辿り着く「迷いのフェーズ」だ。

本人は、考えて考えて考え抜いて売買している、それがいいと思っているから、出ない結果に焦る。

何故なんだ、どうして俺を見放したように、相場は逆ばかりに行くのか。

高度な知識を勉強している、本もたくさん読んだ、色んな戦略を勉強している、何も知らなかった初心者のころでさえあれだけ勝てたのだから、これだけ勉強すればもっと勝てるようになるはずだ、となる。

しかし・・・

結果は、伴わない。


躊躇して出なかったら利益方向に走る。

思い切ってエントリーしたら、そこが髭の先となって、反転。

どうして俺を陥れるようにばかり相場は逆を行くのか。

神よ、こんどだけは俺を利益にさせてくれ。

となる。


この「迷いのフェーズ」で、大勢の志願者は、脱落していくことになる。


そして、それでも絶対を求める人は、絶対に勝てる戦略を求める旅に出ることになる。

錬金術探しの旅。

しかし、これとて、空しい旅。

そもそも知識をいくら蓄えたとて何になる。空しいだけだ。

いくら畳水練をしたとて、そこに答えなどどこにも無い。

イチローにバットの振り方を教えてもらったからといって、それでイチローのように打てるようになる、とでもいうのであろうか。


では、現実にプロはどう考えているのか。
いくら勉強してもだめなのだったら、どうしたらいいというのか。

トレードにおける理想の心とは、どういう心なのか。


明鏡止水(荘子)

(一点の曇りもない鏡、そして静止している水のような境地)


素晴らしい。理想の境地だと思う。

目指すべき心構えとは、これだろう。

実際のエントリーに当たっては、迷いや躊躇は致命傷になる。

それを知っているから、プロは迷わないように腐心する。如何に迷わない心を作るのか、そのことについて、考えまくる。



しかし、疑問がわいてこないだろうか。

それぞれのトレードは所詮不安定なものではないのか。

それをどちらに行くのか知らなくては、いくら心を鍛えたとて、自信を持ってトレードなどできないではないか。

失敗するかもしれない不安をぬぐうことなどできないではないか。

迷って当然ではないのか。躊躇して当たり前ではないのか。

次は勝てるかどうか、わかるからこそプロは自信を持ってトレードしているのではないのか。

つまりは、人の知らないような勝てる手法やノウハウを知っているからこそ、プロはプロなんだ。

それを知ることこそが、解決への道だ。だからこそ明鏡止水の境地に辿り着けるのだ。

結果、錬金術探しの旅、となる。


普通は、そう考えるものだと思う。

かつての私はそうだった。


ずっと、何年も何年も旅から旅を続けていた。しかし、空しい旅だった。


実は、そう考えるに至るには、ある前提が存在する。

それは・・・次に勝てるのかどうかわかれば、不安にはならない、という前提だ。

無意識にしろ、そう思っているからこそ、常にトレードにあたって不安がつきまとうこととなる。

この大前提を持ち続ける限り、必ず勝てる方法が見つかるまでは、人は、一回一回のトレードにあたって考え続けることとなる。

しかしだ・・・最初に書いたように「トレードとはそもそも不確定なもの。」だ。


つまりは、「確定を求める心」と「不確定なトレード」・・・相反するようなこの2つの命題のどちらかを取り除かなくては、迷わずにトレードなどできるはずがないではないか。明鏡止水の境地など無理な話だ。

どちらも正しければ、めちゃくちゃ矛盾した状況に困惑し、苦しむことになる。大勢がトレードにあたって苦しんでいるのは、この矛盾を解決できないから、なのだ。

結果、不確定なトレードを確定させたくて四苦八苦することになる。

確定を求める心をどうにかすることなど、どう考えても不可能。


さて、もう一方の考え方は、この2つの矛盾した命題をなんらかの形で融合させることはできないだろうか、という考え方。そうでもしなければ、「明鏡止水の心」など持てるはずもない。

果たして、その答えはあるのだろうか。


実は、この答えはある。それもはっきりしている。


この答えがわからない限り、人は、常に目の前のトレードで悩み続けることとなる。心のなかの矛盾を持ったままだと、永遠に迷う。

前提となる考え方を変えなければ、答えなど見つかりはしない。

思い込みを捨てねばならない。

いくら心を鍛えたとて、矛盾を抱えたままでは、明鏡止水の心など、遠い遠いものとなる。

ドツボに嵌った時には、180度発想の大転換が必要となる、のは、こういう時だ。

なかなか、前提を覆す、ということをヒントなしには、できないのが人というもの。思い込みの恐ろしさを知らねばならない。



さて、ここまで読んで、このブログを過去から読んでおられる方は、もうおわかりだと思う。

この記事は、単にアプローチを変えただけのもの、過去から書いている記事の入り口が違うだけのものだ。

答えは繰り返し過去記事で書いているので、ここでは省略したい。

また、過去からこちらのブログを読んでいて、今回初めて「そういうことだったのか」と思った人は、この意味と重要性をわかっていなかった、ということになる。

つまり、読んで知ってはいても、理解し、納得してはいなかった、ということだ。


知識として知っている、ということと、知恵として、自分が実践で使い込むだけの腕としてすり込む、ということは、全く違う。

そんなこと知っている、というだけのものなど、何も知らないことと同じにすぎない。

大学入試では、「カルトクイズ」「詰め込み知識」「英語のしゃべれない人の高度な英文法知識」で通用するかもしれないが、社会ではそうはいかない。

使える知恵が求められることとなる。

知行合一(王陽明)

(知っているだけなど、何の意味を持たない)

知識をすり込むためには、そのことを考えまくらないといけない。そして、実践でもまれないといけない。そうでないと、知恵には昇華しない。


学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし(論語)


学ぶだけでは、何の知恵にもならない。一方で、考えているだけでは独善に陥る。ということだ。


それから、わかっている人は、コメントにも答えを書かないでほしい。(書いたら削除します(笑))

わからない人は、渇望感を持って真剣に考えて欲しい。

その渇望感と、真剣に考えまくることが、答えを自分のものとすることになる唯一の道だ、ということなのである。

安易に与えられた答えなど、クソの役にも立たない。
(大学入試ぐらいの役には立つ(笑))

考えて考えて考えて考え抜いて、そして、実践では、何も考えない、これが理想の境地となる。

これは、このような人・・・普段は、何も考えていない、本を読んで誰かのコピー人間として口を開けて知識を吸収するだけ。そして、目の前のトレードで悩みまくる人、とは真反対の立場となる。


(この記事が、おくあんさんブログに啓発されていることは、言うまでもない(笑))

(もう一つ考えてもらいたことは、おくあんさんとて、私とて、死ぬほどトレードについて考えている、ということ。これだけのことを自分の言葉で、つまりパクることなく(何を参考にすることなく)書いているのは、それだけ考えに考えぬいているからだ、ということを理解して欲しい。)

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考え方

2009/08/15 Sat

今日、朝からおくあんさんのブログを読んでいた。

そして、コメントを書こうと思ったのだけれど、例によって長くなるので、自分の記事とした。


さて、最近の私の記事やおくあんさんのブログを読んで、こう感じた人が多いのではないか、と思う。


要するに何が言いたいねん。

ごちゃごちゃ言わずに、さっさと答えを教えろ。

知りたいのは、結論だ。御託はいらんから。


究極には、月曜日上がるか下がるか、その答えをくれ!!

求めているのは、それだ!!


そうでなくても、ぐたぐた御託はいいから・・・・

儲かる方法が書いてないか、それを探しているんだ、それを書け。


欲しいのは、答えであって、念仏はどこかでやってろ。


という本音がある、ということは理解しているつもり。

でも・・・引き続き考え方を書く。


そもそも初心者がブログに対して求めているものとはどういうものなのか。

究極には、上か下か、教えて欲しい。

もうかる手法、ノウハウを教えて欲しい。

このどちらかだろうと思う。


小学校6年間、中学3年間、高校3年間、で勉強してきたこと。
究極は、「大学受験のための受験勉強」のための勉強をやってきたはず。

試験に出るか出ないか。

それが、重要であって、ここは大切だけれど、試験には出ないよ、というところは、即時切り捨て、だったと思う。

つまり、ここは、試験に出るか出ないか、教えてくれ。試験に出るのなら、その答えを覚えておく(理解するのではないことが多い)、出ないのなら、無視する。

それが、勉強のやり方だったはず。

赤いシートで隠して必死で覚えている学生をよく電車で見かける。

試験勉強を否定するつもりはない。基礎知識を身につけるためには、仕方がないこともある。

そこでは、どうしても大量の知識(答え)を蓄えること=勉強、となる。

しかし、このような子供のころから慣れ親しんだ学習方法であるから、大人になってもそれはそう簡単には変えられない。

相場で必要な答えを教えてもらって、それを「暗記すること。覚えること」が、相場上達の道、と思っても、これは仕方が無い。
そして、その傾向は、若い人ほど強い。

相場に限らず、社会に入って驚くこと。

それは、社会人として仕事のできる人と、学生時代に勉強が出来た人とが、必ずしも一致しない、ということを徐々に感じていくこと。

大量の知識を知っている人が偉かった学生時代。特に文科系。

それが、自分を含めて誰も知らないこと(答えの無いもの)を素早く理解でき、答えを導き出せる人が偉い社会人、にと変化する。

「大容量メモリーに低スペックCPUタイプ」の人が、学生時代には、高学歴であったものが、社会人として、早々に脱落するのは、それが主な理由だが、本人にはその自覚がなかなか持てない。


考え方を深く理解すること


これが、相場に限らず、社会人として、成功するには、非常に大切な部分だと思う。

相場で言うと、常に環境によって、答えなど変化するもの。時には、答えが逆になることもある。しかし、基本となる考え方は、不変。

だから、考え方、を問う。重視する。


答えを求めて「教えてくれー、教えてくれー」とゾンビのようにブログ間をさ迷う気持ちはわからないではない。

かつての私も「答えを求めるゾンビ」の一人だった。

どこかに答えがあるはずだ。誰かがそれを教えてくれるはずだ。過去の学生時代は常にそうだったじゃないか!!


しかし、どうだろうか。

いくら探したとて、現実に自分の求めるような答えはどこかにあっただろうか。

高額の情報商材にあっただろうか。
それとも、高額のセミナーにあっただろうか。
それとも、どこかのブログに書いてあっただろうか。

そして、そのようなゾンビ生活をいつまで続ける気だろうか。


このようなゾンビ生活から足を洗い、考え方を180度転換してみてはどうだろうか。

考え方を理解し、自分で本気で考える、そして実践の中から突破口を探す(1000本ノック)、ということを一度本気でやってみては如何だろうか、そう思う。



かく言う私は、ゾンビ生活の果てに野川ブートキャンプにたどり着いた。

そこでプロにしか無い答えをもらうつもりだった。

しかし、そこにあった答えは、誰でも知っているものがあるだけ。

しかもたった一つ。

当たり前のことだ。

何だ、こんなことか。誰でも知っているではないか。

では、ブートキャンプに価値がなかったのか。

私はブートキャンプで得たものとは、「考え方」であった。
答えなど、既に知っている。

しかし、答えを知っているだけでは決して使えない。

「私も知っています」

これほどバカな答えはない、そういつも思う。
こういうことを言われると、吉本ではないが、ズルッと滑る(笑)

大勢のブートキャンプ訓練生が去っていった。

「こんなありきたりのことを教えてもらうことなんてないよ。知っていることばかり。あたりまえのことばかり。ありきたり。こんなの価値無いよ。」

彼らの多くは、考え方の重要性を理解しようともせず、去っていった。

大勢のプロが「当たり前のこと」で飯を食っているという現実があって、その裏で、多くの初心者が、特別な何かを求めて、ゾンビ化する。

考えてみれば、可笑しなことだが、これが現実。

大勢のプロが口を揃えて「当たり前のことをする」といっても、それはウソだとなる。

確かに当たり前のことをしても、なかなか利益にならない。だから、どこかに特別な答えがあるはずだ、という論理に行き着くのだろう。


大切なのは、基本となる考え方であって、答えはその単なる副産物に過ぎない。
考え方を理解し、自分で導いた答えであるなら、それが答えなのだ、と思う。どこかに正解が落ちている、と思う方が変。

逆に、考え方の無い答えなど、実践では、使い物には決してならない。

相場の実践ということは、暗記ものではなく、常に新しい局面局面をどう乗り切るのか、という対応力こそ、その力の源泉となるものだ、そう思うからこそ、考え方を重視する。


そもそも相場における答えなど、既にちょっとでも相場をかじって、勉強した人なら、誰でも既に持っているはず。
そこにプロアマの違いなど無い。
ただ、それが、儲かるものだと見えてはいないだけだ。
考え方を知らないから、使い方をわかってないから・・・つまりは、考え方の無い答えだけを持っているからだ、と思う。

山師論

2009/08/16 Sun

最近、言葉では理解できている、とご本人が思っていても、実は、ほとんど理解できていない、という事件が私の周りで頻発。

わかってもらえていると思っていても、実は、そうではない。空しく私の空回りばかり・・・何故なのか。

それで、記事が、最近かなりシニカルに、また上から目線になってしまいました(笑)



どうやら、その理由が少しばかり見えたような気がしているので、それを書こうと思う。

前の記事のしょらごんさんのコメントには、本音がずらり・・・

いいのか、こんなに書いてしまって・・・

「たくさん稼ぎたい、損したくない、間違いたくない、遠回りしたくない、確実な方法を選択したい、安心したい、面倒なことはしたくない、濡れ手に泡で儲けたい、片手間で稼ぎたい、地道な努力はしたくない、自分で考えるなんてことはしたくない、目をつぶって手を引かれて誰かに正しいところに連れて行ってもらいたい、不安な思いは抱えたくない、嫌なことはしたくない、やりたいことだけやって楽しく稼ぎたい」

でも、本音はそうなんだろうと思う。

こういわれると、自分とて、どうだったのだ。

振り返ると奴がいる(笑)

こうやって説教している自分とてかつては同士だった。全く同じ気持ちだった。


相場を志す人というのは、所詮は、

「山師」

なんだ、ということだ。

山師だ。そう山師。いい響きだ!!

そもそも、相場を始めた動機は、

どこかに金鉱脈があるはずだ

ではないか。

地味に、努力してコツコツ相場で稼ぎたい、と思って始めた人など、100人中0だろう。

弁護士になろう、会計士になろう、という努力を相場師に置き換えるような奇特な人がいるとは思えない。


山師とは・・・

「鉱山の発掘や鉱脈の発見すること仕事としている人。鉱山技師。転じて、鉱脈を発見する仕事が一山当てて一攫千金を目指すような要素が強いことから投機的な事業で金儲けをたくらむ人や儲け話を持ちかけて他人をだます詐欺師を指す言葉として用いられるようになった。」
(はてなキーワード参照)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B3%BB%D5


そもそも動機がそうなのだから、誰がどう騒ごうが、山師根性は抜けきれない。

一山当てて一攫千金を目指す

これが相場を始める動機であり、投資活動全てのベースになる。

つまり、基本的考え方が、ここにあるのだから、地味に、コツコツ、練習して、など、耳に入ろうはずがない。完全スルー。

相場は、意外と簡単だ

一山当てて、大金持ちになれる

ここを基本に置くので、そこにぶつかるような話は、論外にならざるを得ない。


山師ならば、金鉱脈探しの努力は惜しまない。あっちの山をふらふらこっちの山をふらふら、とにかく努力して努力して努力して、「楽して儲かる方法」を求めてさ迷う。


山師が、地味に練習する、なんて全くのところ似合わないのだ。当然だ。


そもそも相場に「金鉱脈」を求めて、入山してきている人に対して、「金鉱脈など無いので、地味に仕事感覚で、技を磨く練習をしてください。」などと言っても、それは無駄、というものだ。

こう考えると、私は、かなりの勘違いをしていたのかもしれない。最近そう思えてきている。

つまりは、この基本路線は、先人が何をどう話したところで、外れない、ぶれないのだろう。

何を言ったところで、この思い込みを外すことは不可能。基本的な考え方なのだ。これは投資活動そのものの源泉となる重要な思いなのだ。

これなくして、相場などやってられない、となる。

地味だったら、相場などせずに真面目に仕事でもしてるよ、アホか、となっても、何らおかしくもない。


では、この道25年。ようやく儲かるようになった私の経験からはどうなのか。

当然に「山師」は卒業している。

当ブログに書いているように「山師」ではなく「職人」として、相場をやっている。

では、そもそも山師だった私が、職人になったきっかけは何だったのだろうか。

何故、山師を卒業して、地味な職人さんになったのか。

実は、自分でもよくわからないのだ。

いつのまにか、職人さんになっていた。これからは職人さんになろう、そう固く決意してなったわけではなかった。

しかし、結果としては、「山師」では金鉱脈を見つけることはできず、「職人」として相場で生きている。

だからその経験を伝えるしか、私にはできない。

安易な金鉱脈は、私には見えなかった。

山師をまっとうできなかった負け犬なのか。

そうかもしれない。

山師に関しては、私は負け犬である。素直に認める。10年間頑張って、金鉱脈を見つけることができなかったのだから。


と、ここで終わっては、微妙な終わり方・・・・

何か無かったのか、変化のきっかけは・・・・


考えると、一つ思い当たる。

それは・・・

あらゆる山を掘りつくして、山師としての私は、死亡し、成仏した

ということではなかろうか、と思う。


10年以上、「楽して儲けるために」「努力を惜しまなかった」のだ。

その結果、楽して儲ける道を見つけることができなかった。とても、残念だった。死んでも死に切れない思い。断腸の思いだった。10年間、金鉱脈を求めて、山をさ迷い、掘って掘って掘りつくした。

あらゆるテクニカル分析、あらゆる相場本、買った洋書数も半端ではない。あらゆる必勝法も買った。そしてあらゆるセミナーも受けた。しかし、金鉱は見つからなかった。

このまま続けていて、何になるのか。

絶望の淵に立たされた。一生、金鉱脈を探して、こうやって生きていくのだろうか。




こういう時に野川氏との出会いがあった。
当時既に野川氏は、トッププロ。

そもそもは最後の金鉱脈と思い、その門をくぐった。

そして、出てきたものとは・・・・

ありきたりのレシピ

当たり前の方法論

だった。

何じゃこりゃ・・・皆知っていることばかり。

これも外れなのか・・・頭をよぎった。

当初、私には、野川氏が言っておられたことなど、何も響かなかった。

あたりまえのことしか言わないのだ。びっくりした。そんなことに興味などは無い。私は、金鉱脈の地図を探しに来たのだ。わかっているのか、プロなんだったら、秘法の1つや2つ出せ!!それがプロだろうがぁーー!!

そう思った。

そうこうしているうちに、私と同じく金鉱脈を期待した多くの仲間は去っていった。

しかし、私は、残った。

何故残ったのか。

もう金鉱脈探しには、疲れた。最後の望みだったブートキャンプに倒れこんだ、もう動けなかった、もう後が無い、というのが真相だったと思う。

ありきたりでも、もう知っていても、どうでもいいから、とにかく信じてやってみよう。ということだった。

言われたことに納得などしていない。ただ、トッププロの言うことなのだから、我慢してつきあった、ぐらいだった。

そして、相場を始めて、1年生でも知っているような、

あたりまえのこと

が始まった。

相場を始めて10年も経ってから、初めて初心者のするようなバタ足訓練を真面目に練習をした。

受け身の練習も始めた。これまでは、大技しか興味がなかったのだ。(そして骨折を繰り返していた)

「ちっ、なんでこんなしょうもないことばかりさせるんや。こっちは初心者やないで、ええかげんにせい!!」

「こんなこととっくに知ってるわ。しつこいっちゅうねん。わかっとるって・・・」

これまでは、金鉱脈探しに忙しくて、しょぼい練習などする暇がなかったのだ。そもそも山師に練習など似合わないのだ。


おまけに、最初は儲からなかった。損切りに次ぐ損切りの連続。さすがに脱走しようとも思った。しかし、後が無い。

ここでも大勢の仲間が脱走していった。目先の利益がついてこないことに、嫌気がさしたのだ。しょうもない練習にも辟易。いい大人なんだから、しょぼい練習などやってらんねえ、となった。当然だ。


しかし、私は、しがみついた。

こうして4年間。ブートキャンプであたりまえのことをやり続けた。

(ここで、4年間と簡単に書いているが、4年間という年月の長さを理解してもらえるだろうか。なかなか利益にならない地味な練習を4年間という意味。その時間感覚を。)

地味に、あたりまえのことだけを続けて、日々黙々と相場に対峙した。

そして気がつけば、4年。あたりまえのことがあたりまえにできる職人になっていた。

なろうとしていたわけではない。気がついたら、なっていた。

もう山師ではない自分がそこにいた。

気がついたら、あたりまえのことだけをして、そして、気がついたら、利益を出している自分がいた。

知識など、4年前とほとんど変わってはいない。あれだけ求めて求めてもたどり着けなかったものが、実は、あたりまえの中にあった。

何故相場で利益が出せるのか。不思議だった。

振り返るとようやくわかった

相場で利益を出せるようになって振り返ると、ようやく先人が繰り返している意味を理解したのだった。

あたりまえのことをしているだけ

そこには、あれだけ捜し求めていた金鉱脈などどこにも無かった。


一部の好事家および少数のプロの方を除き、ほとんどの方が「山師」だと思います。

私からの心からのアドバイスは次のようなものです。

「掘るだけ掘れ!!」
(そうしないと納得できない。納得するまでやれ。成仏できるまでやれ。そうでないと成仏できない。)


「そして、いつか成仏できたら、戻って来い!!」
(そこが本当のスタートライン。しかし、成仏ではなくお陀仏してしまって、相場から離れてしまう人が99%(笑))


(たぶん納得し成仏できないと職人はムリ(笑))

(ということで、またシニカルになってしまった(笑))

以上(笑)

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プロフィール

あらなみ

Author:あらなみ
職業:個別株投機家・専業デイトレーダー

Twitter:
@aranami718

旧ブログ:

あらなみの相場技術研究所

あらなみのトレード水先案内人

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